伝道者の書1-3; Ⅱコリント11:16-33

伝道の書

第1章

1:1ダビデの子、エルサレムの王である伝道者の言葉。
1:2伝道者は言う、
空の空、空の空、いっさいは空である。
1:3日の下で人が労するすべての労苦は、
その身になんの益があるか。
1:4世は去り、世はきたる。
しかし地は永遠に変らない。
1:5日はいで、日は没し、
その出た所に急ぎ行く。
1:6風は南に吹き、また転じて、北に向かい、
めぐりにめぐって、またそのめぐる所に帰る。
1:7川はみな、海に流れ入る、
しかし海は満ちることがない。
川はその出てきた所にまた帰って行く。
1:8すべての事は人をうみ疲れさせる、
人はこれを言いつくすことができない。
目は見ることに飽きることがなく、
耳は聞くことに満足することがない。
1:9先にあったことは、また後にもある、
先になされた事は、また後にもなされる。
日の下には新しいものはない。
1:10「見よ、これは新しいものだ」と
言われるものがあるか、
それはわれわれの前にあった世々に、
すでにあったものである。
1:11前の者のことは覚えられることがない、
また、きたるべき後の者のことも、
後に起る者はこれを覚えることがない。
1:12伝道者であるわたしはエルサレムで、イスラエルの王であった。1:13わたしは心をつくし、知恵を用いて、天が下に行われるすべてのことを尋ね、また調べた。これは神が、人の子らに与えて、ほねおらせられる苦しい仕事である。1:14わたしは日の下で人が行うすべてのわざを見たが、みな空であって風を捕えるようである。
1:15曲ったものは、まっすぐにすることができない、
欠けたものは数えることができない。
1:16わたしは心の中に語って言った、「わたしは、わたしより先にエルサレムを治めたすべての者にまさって、多くの知恵を得た。わたしの心は知恵と知識を多く得た」。1:17わたしは心をつくして知恵を知り、また狂気と愚痴とを知ろうとしたが、これもまた風を捕えるようなものであると悟った。
1:18それは知恵が多ければ悩みが多く、
知識を増す者は憂いを増すからである。

第2章

2:1わたしは自分の心に言った、「さあ、快楽をもって、おまえを試みよう。おまえは愉快に過ごすがよい」と。しかし、これもまた空であった。2:2わたしは笑いについて言った、「これは狂気である」と。また快楽について言った、「これは何をするのか」と。2:3わたしの心は知恵をもってわたしを導いているが、わたしは酒をもって自分の肉体を元気づけようと試みた。また、人の子は天が下でその短い一生の間、どんな事をしたら良いかを、見きわめるまでは、愚かな事をしようと試みた。2:4わたしは大きな事業をした。わたしは自分のために家を建て、ぶどう畑を設け、2:5園と庭をつくり、またすべて実のなる木をそこに植え、2:6池をつくって、木のおい茂る林に、そこから水を注がせた。2:7わたしは男女の奴隷を買った。またわたしの家で生れた奴隷を持っていた。わたしはまた、わたしより先にエルサレムにいただれよりも多くの牛や羊の財産を持っていた。2:8わたしはまた銀と金を集め、王たちと国々の財宝を集めた。またわたしは歌うたう男、歌うたう女を得た。また人の子の楽しみとするそばめを多く得た。
2:9こうして、わたしは大いなる者となり、わたしより先にエルサレムにいたすべての者よりも、大いなる者となった。わたしの知恵もまた、わたしを離れなかった。2:10なんでもわたしの目の好むものは遠慮せず、わたしの心の喜ぶものは拒まなかった。わたしの心がわたしのすべての労苦によって、快楽を得たからである。そしてこれはわたしのすべての労苦によって得た報いであった。2:11そこで、わたしはわが手のなしたすべての事、およびそれをなすに要した労苦を顧みたとき、見よ、皆、空であって、風を捕えるようなものであった。日の下には益となるものはないのである。
2:12わたしはまた、身をめぐらして、知恵と、狂気と、愚痴とを見た。そもそも、王の後に来る人は何をなし得ようか。すでに彼がなした事にすぎないのだ。2:13光が暗きにまさるように、知恵が愚痴にまさるのを、わたしは見た。2:14知者の目は、その頭にある。しかし愚者は暗やみを歩む。けれどもわたしはなお同一の運命が彼らのすべてに臨むことを知っている。2:15わたしは心に言った、「愚者に臨む事はわたしにも臨むのだ。それでどうしてわたしは賢いことがあろう」。わたしはまた心に言った、「これもまた空である」と。2:16そもそも、知者も愚者も同様に長く覚えられるものではない。きたるべき日には皆忘れられてしまうのである。知者が愚者と同じように死ぬのは、どうしたことであろう。2:17そこで、わたしは生きることをいとった。日の下に行われるわざは、わたしに悪しく見えたからである。皆空であって、風を捕えるようである。
2:18わたしは日の下で労したすべての労苦を憎んだ。わたしの後に来る人にこれを残さなければならないからである。2:19そして、その人が知者であるか、または愚者であるかは、だれが知り得よう。そうであるのに、その人が、日の下でわたしが労し、かつ知恵を働かしてなしたすべての労苦をつかさどることになるのだ。これもまた空である。2:20それでわたしはふり返ってみて、日の下でわたしが労したすべての労苦について、望みを失った。2:21今ここに人があって、知恵と知識と才能をもって労しても、これがために労しない人に、すべてを残して、その所有とさせなければならないのだ。これもまた空であって、大いに悪い。2:22そもそも、人は日の下で労するすべての労苦と、その心づかいによってなんの得るところがあるか。2:23そのすべての日はただ憂いのみであって、そのわざは苦しく、その心は夜の間も休まることがない。これもまた空である。
2:24人は食い飲みし、その労苦によって得たもので心を楽しませるより良い事はない。これもまた神の手から出ることを、わたしは見た。2:25だれが神を離れて、食い、かつ楽しむことのできる者があろう。2:26神は、その心にかなう人に、知恵と知識と喜びとをくださる。しかし罪びとには仕事を与えて集めることと、積むことをさせられる。これは神の心にかなう者にそれを賜わるためである。これもまた空であって、風を捕えるようである。

第3章

3:1天が下のすべての事には季節があり、
すべてのわざには時がある。
3:2生るるに時があり、死ぬるに時があり、
植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
3:3殺すに時があり、いやすに時があり、
こわすに時があり、建てるに時があり、
3:4泣くに時があり、笑うに時があり、
悲しむに時があり、踊るに時があり、
3:5石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、
抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
3:6捜すに時があり、失うに時があり、
保つに時があり、捨てるに時があり、
3:7裂くに時があり、縫うに時があり、
黙るに時があり、語るに時があり、
3:8愛するに時があり、憎むに時があり、
戦うに時があり、和らぐに時がある。
3:9働く者はその労することにより、なんの益を得るか。
3:10わたしは神が人の子らに与えて、ほねおらせられる仕事を見た。3:11神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。3:12わたしは知っている。人にはその生きながらえている間、楽しく愉快に過ごすよりほかに良い事はない。3:13またすべての人が食い飲みし、そのすべての労苦によって楽しみを得ることは神の賜物である。3:14わたしは知っている。すべて神がなさる事は永遠に変ることがなく、これに加えることも、これから取ることもできない。神がこのようにされるのは、人々が神の前に恐れをもつようになるためである。3:15今あるものは、すでにあったものである。後にあるものも、すでにあったものである。神は追いやられたものを尋ね求められる。
3:16わたしはまた、日の下を見たが、さばきを行う所にも不正があり、公義を行う所にも不正がある。3:17わたしは心に言った、「神は正しい者と悪い者とをさばかれる。神はすべての事と、すべてのわざに、時を定められたからである」と。3:18わたしはまた、人の子らについて心に言った、「神は彼らをためして、彼らに自分たちが獣にすぎないことを悟らせられるのである」と。3:19人の子らに臨むところは獣にも臨むからである。すなわち一様に彼らに臨み、これの死ぬように、彼も死ぬのである。彼らはみな同様の息をもっている。人は獣にまさるところがない。すべてのものは空だからである。3:20みな一つ所に行く。皆ちりから出て、皆ちりに帰る。3:21だれが知るか、人の子らの霊は上にのぼり、獣の霊は地にくだるかを。3:22それで、わたしは見た、人はその働きによって楽しむにこした事はない。これが彼の分だからである。だれが彼をつれていって、その後の、どうなるかを見させることができようか。


Ⅱコリント

第11章

11:16繰り返して言うが、だれも、わたしを愚か者と思わないでほしい。もしそう思うなら、愚か者あつかいにされてもよいから、わたしにも、少し誇らせてほしい。11:17いま言うことは、主によって言うのではなく、愚か者のように、自分の誇とするところを信じきって言うのである。11:18多くの人が肉によって誇っているから、わたしも誇ろう。11:19あなたがたは賢い人たちなのだから、喜んで愚か者を忍んでくれるだろう。11:20実際、あなたがたは奴隷にされても、食い倒されても、略奪されても、いばられても、顔をたたかれても、それを忍んでいる。11:21言うのも恥ずかしいことだが、わたしたちは弱すぎたのだ。もしある人があえて誇るなら、わたしは愚か者になって言うが、わたしもあえて誇ろう。11:22彼らはヘブル人なのか。わたしもそうである。彼らはイスラエル人なのか。わたしもそうである。彼らはアブラハムの子孫なのか。わたしもそうである。11:23彼らはキリストの僕なのか。わたしは気が狂ったようになって言う、わたしは彼ら以上にそうである。苦労したことはもっと多く、投獄されたことももっと多く、むち打たれたことは、はるかにおびただしく、死に面したこともしばしばあった。11:24ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、11:25ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、そして、一昼夜、海の上を漂ったこともある。11:26幾たびも旅をし、川の難、盗賊の難、同国民の難、異邦人の難、都会の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、11:27労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢えかわき、しばしば食物がなく、寒さに凍え、裸でいたこともあった。11:28なおいろいろの事があった外に、日々わたしに迫って来る諸教会の心配ごとがある。11:29だれかが弱っているのに、わたしも弱らないでおれようか。だれかが罪を犯しているのに、わたしの心が燃えないでおれようか。11:30もし誇らねばならないのなら、わたしは自分の弱さを誇ろう。11:31永遠にほむべき、主イエス・キリストの父なる神は、わたしが偽りを言っていないことを、ご存じである。
11:32ダマスコでアレタ王の代官が、わたしを捕えるためにダマスコ人の町を監視したことがあったが、11:33その時わたしは窓から町の城壁づたいに、かごでつり降ろされて、彼の手からのがれた。


Top